スポーツ総合情報サイト ロンドンへの道: サッカー

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2008年10月30日

アルゼンチン代表新監督にマラドーナの就任が決定

元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナは、アルゼンチンサッカー協会(AFA)のフリオ・グロンドーナ会長、および元代表監督カルロス・ビラルド氏と会談を行い、アルゼンチン代表の新監督に任命された。

 16日に辞任を表明したアルフィオ・バシーレ前監督の後任として代表監督に就任することが決まったマラドーナは、この会談直後に、「私は非常に満足しているが、極めて冷静だ」という短いコメントを残した。

 アルゼンチン代表の新体制は、総監督としてビラルドが就任し、その下にマラドーナ監督、そして数人のコーチとフィジカルトレーナーからなる代表スタッフという構成になる見込みだ。

 AFAによると、グロンドーナ会長は、そのほかに代表監督候補として名前が挙がっていたカルロス・ビアンチ、ミゲル・アンヘル・ルッソ、セルヒオ・バチスタの3人には一切コンタクトを取っていないという。

 これまでアルゼンチンでは、「代表監督の本命はビアンチ」と思われており、今回のグロンドーナ会長の決断は、同国のサッカー関係者を驚かせるものとなった。また同会長は、これに先立って行われたウルグアイのラジオ局『ラジオ・コロニア』とのインタビューでは、“複数の監督による合同チーム”の導入も示唆していた。
posted by モンチャン at 09:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月29日

マラドーナ氏、アルゼンチン代表監督に就任か!!

サッカーの元名選手、ディエゴ・マラドーナ氏(47)が母国のアルゼンチン代表を率いる構想が具体化している。ロイター通信などによると、28日に同国協会と監督就任について話し合ったマラドーナ氏は「喜ぶのはちょっと早いが、魅力的な考えだ」と意欲を語った。

 交渉は29日も行うという。マラドーナ氏が主将として優勝した86年W杯当時の監督、ビラルド氏も同席。マラドーナ氏とともにスタッフに加わる構想だという。

 アルゼンチン代表監督は、今月半ばにバシーレ氏が辞任して空席となっている。
posted by モンチャン at 12:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月20日

岡ちゃん代表発表会見で選考理由自ら説明

日本代表の岡田武史監督(52)が、今後の代表招集に際し、会見で選手の選考理由を説明することになった。これまでも、W杯予選など節目の試合では、招集会見に監督は出席してきた。だが、親善試合などではメンバー表だけを発表し、そこに岡田監督がコメントを寄せる形式をとっていた。しかし選考理由について触れることはなかった。
 各クラブにとっては代表選手を輩出することは名誉なこと。だが、一方でリーグ戦も終盤を迎え、主力選手の動向は、優勝、残留、昇格争いに大きな影響を与えることも事実だ。サポーターに理解を求めるためにも、指揮官の肉声で説明する。
 次回の招集会見は、10月9日のUAE戦(東北電ス)に向けて、今月末に行われる予定。岡田監督が熱い言葉で日本のサッカー界に一致団結を訴えることになる。
posted by モンチャン at 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

守備は成長実感…前王者1点に抑えた

【日本0―1アルゼンチン】反町ジャパンの代名詞である堅守は、南米の雄に対しても十分に通用した。集中力を欠いた一瞬のスキを突かれて1失点はしたものの、最後まで完全に守備を崩された場面は皆無。DF森重は「思ったよりも通用した。結果的には負けたけど、守備はそんなに崩れなかった」と手応えを口にした。

 着実に進歩している実感がある。24日のオーストラリア戦では、DF吉田のパスミスから先制点を許してしまった。五輪アジア予選の12試合を4失点で切り抜けたように、守りこそが反町ジャパンの生命線。五輪切符を獲得したとはいえ、誰もが危機感を持っていた。

 それだけに、この試合を前にした静岡合宿では守備の確認に時間が費やされた。ミーティングでは過去の五輪のデータも引き合いに出し、開始15分での失点が多いことを確認。もう一度原点に戻り、守備の重要性を体にしみこませた。

 その成果は、確実に表れていた。安田がかわされて失点した以外は、DF4人が粘り強く対応し、欧州の一線でプレーする相手に一歩も譲らなかった。主将の水本も「守備はオーストラリアよりもよかった。あれで1点の重みも分かったはず」と振り返った。

 代表合宿から駆けつけた岡田監督も「守備はよく頑張ってたんじゃないか」と合格点を与えた。強豪相手でも恐れることはない。五輪本番に向けて、自信はさらに深まった。
posted by モンチャン at 09:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月22日

浦和、守備崩壊で惨敗

リーグ戦では約3カ月ぶりとなる高原の鮮やかな先制弾も、ぬか喜びだった。浦和の守備陣が崩壊し、ホームで3失点。鹿島に首位を明け渡し、スタンドからはエンゲルス監督に向けて汚いブーイングも飛び出した。
阿部と堀之内、細貝の守備的選手3人が累積警告で、この試合に出場停止。闘莉王がエンゲルス監督就任後、初めて本職のセンターバックに戻ったが、久しぶりの3バックは安定を欠いた。
 ただそれ以上に目についたのが、浦和らしからぬ集中力の欠如だ。
 後半21分の2失点目。高原のシュートがゴールラインぎりぎりではね返され、カウンターを浴びた。相手選手が手ではね返したように見え、それを浦和の選手が抗議した直後だった。「レフェリーに文句を言うより、切り替えなければならなかった」と指揮官。高原も「自分たちで苦しくするサッカーをしたのが敗因」と肩を落とす。
 エンゲルス監督が掲げる組織的なサッカーへの転換はまだ途上。ふとしたことで守備ラインが下がり、闘莉王ら「個」に頼る悪癖が顔を出す。
 それでも勝ち点を積み重ねられたのは、高い集中力を背景とする勝負強さがあってこそ。だが今はそれもかすんでいる。
 リーグ戦再開後は2勝3敗。「いい試合と悪い試合が安定しない」とエンゲルス監督。次節は首位・鹿島との“天王山”。不安はつきない。
posted by モンチャン at 08:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

北京五輪登録メンバーに森本、香川ら18名

日本サッカー協会は14日、都内のJFAハウスで会見を開き、8月の北京五輪に臨む男子サッカー代表登録メンバー18名を発表した。

 先日行われたU−23日本代表候補合宿から森本貴幸(カターニア/イタリア)、本田圭佑(VVV/オランダ)らが選ばれ、J2のため合宿に参加しなかった香川真司(C大阪)、けがで戦列を離れていた長友佑都(FC東京)もメンバー入りした。一方、五輪予選で主力として活躍した平山相太(FC東京)、水野晃樹(セルティック/スコットランド)、青山直晃(清水)らは外れた。

 反町康治監督はメンバー選考について「いろいろなことを総合して考えた。心・技・体の『心』を大切にして選んだつもり。予選で活躍してくれた選手を本大会に連れて行けず、つらい思いをしているが、北京で日本のサッカーを表現するためにこの18名を選んだ」と説明。また「目標はまずグループリーグを突破すること。これに全神経を集中してやっていきたい」と五輪への抱負を語った。

 3人まで許されている24歳以上のオーバーエージ(OA)枠は、遠藤保仁(G大阪)が体調不良で辞退したため使用せず、日本は23歳以下のメンバーで固めることになった。他国のOAではブラジルがロナウジーニョ(バルセロナ)、アルゼンチンはリケルメ(ボカ・ジュニアーズ)らを要請・招集している。

 U−23日本代表は7月24日にはホームズスタジアム神戸でU−23オーストラリア代表と、同29日には東京・国立競技場でU−23アルゼンチン代表と壮行試合を行う。五輪のグループリーグでは米国、ナイジェリア、オランダと同組で、8月7日に初戦の米国戦を迎える。
 北京五輪登録メンバーは以下の通り。

GK:
山本海人(清水)
西川周作(大分)

DF:
水本裕貴(京都)
長友佑都(FC東京)
森重真人(大分)
安田理大(G大阪)
内田篤人(鹿島)
吉田麻也(名古屋)

MF:
本田拓也(清水)
谷口博之(川崎)
梶山陽平(FC東京)
細貝萌(浦和)
本田圭佑(VVV/オランダ)
香川真司(C大阪)

FW:
豊田陽平(山形)
李忠成(柏)
岡崎慎司(清水)
森本貴幸(カターニア/イタリア)
posted by モンチャン at 17:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

W杯最終予選、日本は豪州、バーレーンと同じグループA マレーシアで抽選

サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会アジア最終予選の組み合わせ抽選会が27日、マレーシアのクアラルンプールで行われた。日本は豪州、バーレーン、ウズベキスタン、カタールと同じグループAになった。

【関連図表】各組の組み合わせ図

 最終予選には3次予選各組上位2位までの計10カ国が進出。この10カ国を2006年ドイツW杯の成績ランキングに基づいて順位付けし、同レベルのチームはA、Bの2組に分かれるように抽選した。ランキングでは日本とサウジアラビアは同じ4位だったため、抽選前にくじ引きを実施。日本が4位、サウジアラビアは5位と扱われた。

 最終予選は9月6日から来年6月17日までホームアンドアウェー方式(H&A)で行われる。各組2位までがW杯出場権を獲得。3位同士が、H&Aで戦い、勝者が最後の1枠を巡り、オセアニア地区1位とプレーオフを行う。

 グループA 豪州、日本、バーレーン、ウズベキスタン、カタール

 グループB 韓国、イラン、サウジアラビア、北朝鮮、UAE
posted by モンチャン at 08:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月22日

日本、1−0でバーレーン破る W杯3次予選

サッカーの2010年W杯南アフリカ大会アジア3次予選は22日、各地で最終戦が行われ、すでに最終予選進出を決めている日本は埼玉スタジアムでバーレーンと対戦。1−0で勝利した。3次予選2組を4勝1分け1敗の勝ち点13の1位で終えた。

日本は、ボールを支配するも決定機を逃すプレーが続いたが、終了直前、DF内田のラッキーなゴールで勝利した。先発メンバーは、中村俊(セルティック)、中沢(横浜)が国際Aマッチ出場記録78試合目の出場。中田英の記録を抜いて歴代5位に浮上した。2トップには岡田監督が就任してから初めて招集された佐藤寿(広島)と玉田(名古屋)が先発、トップ下に入った本田圭(VVVフェンロ)はA代表初出場となった。

 国際サッカー連盟(FIFA)のランキングは日本の38位に対し、バーレーンは72位。

 アジア最終予選の組み合わせ抽選は、今月27日にクアラルンプールで行われる。最終予選は9月に開幕し、10チームが2組に分かれてリーグ戦を行い、それぞれ上位2チームが本大会の出場権獲得する。各組3位チームの勝者がオセオニアとの大陸間プレーオフに進む。

中村俊輔

posted by モンチャン at 23:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

ロナウジーニョが北京五輪出場へ

鮮やかな復帰を果たす準備ができたといううわさを裏付けるかのように、ロナウジーニョは北京五輪への出場に興味を示していた。その彼に強力な援軍が現れた。おそらく、これ以上はあり得ないほどの最強の味方である。

 ドゥンガ監督に助言を送ったのはブラジルサッカー協会のリカルド・テイシェイラ会長。むしろ命令だと言っていいだろう。「ロナウジーニョのセレソン(ブラジル代表の愛称)復帰を望んでいるのは私ではない。ブラジルの全国民だ。彼は五輪で活躍できる条件をすべてそろえた選手であり、ワールドカップ予選でも活躍してくれるかもしれない。ブラジルのサポーターが彼を支えてくれるよう願っている。彼は代表チームにとって重要な存在だからだ」

 あとは、以前から筋肉のけがに悩まされてきたロナウジーニョのフィジカルコンディション次第だ。彼自身には何も問題は無いように思える。テイシェイラの発言に歩調を合わせるように、ロナウジーニョははっきりとこう語った。
「北京に行くのは確実だと言っていいと思う。けがはもう治ったから、できるだけ早く復帰したい。あとはコンディションを上げなければいけないだけだ。素晴らしい五輪にしたい」

 中国で過ごす8月が復活に向けた大きなきっかけになるかもしれない。移籍市場が閉じるのは8月末である

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2008年06月08日

日本代表オマーンと引き分ける

サッカーのワールドカップ(W杯)アジア3次予選で、世界ランキング38位の日本は同81位のオマーンと7日、マスカット(オマーン)のロイヤル・ポリス競技場で対戦した。
 前半12分、自陣で守りを固めてきたオマーンが立ち上がりにセットプレーから先制した。日本は猛暑の中、精力的な動きとすばやいパスまわしで相手の厳しい守備網を突破。両サイドバックも攻め上がって何度か好機を作ったが、相手GKの好守などにはばまれ、前半は同点ゴールを挙げるにはいたらなかった。

 日本は後半8分、遠藤がPKを決めて同点に追いついた。その後何度かゴールのチャンスを得たが、得点にいたらず、そのまま1−1で引き分けた。

 日本は通算2勝1分け1敗、勝ち点7で2位。オマーンは1勝1分け2敗、勝ち点4で3位。首位のバーレーンはタイと対戦。日本は14日のタイ戦(バンコク)で勝つか引き分ければ、バーレーン−オマーン戦の結果次第で2位以内が確定し、最終予選進出が決まる。

▽岡田監督 試合は支配できていたしチャンスもあったが、最後のところが決まらなかった。しかし、選手はこの暑さの中でよく頑張ってくれた。引き分けは仕方ない。

 (前半の失点は)あの1本くらいしかいいシュートがなかったがそれが決まってしまった。でも、それがサッカー。前半からチャンスがあったし、必ず点を取ってくれると思っていた。

中村俊輔


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2008年06月04日

中田氏&トルシエ FC琉球で再合体?

元日本代表MF中田英寿氏(31)が3日、元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏(53)が総監督を務めるJFLのFC琉球と千葉・柏市内で練習試合を行い、臨時コーチ就任を要請された。「JAPAN STARS」の一員として出場するエキシビションマッチ(7日、日産ス)に向けた調整試合での突然のオファー。02年W杯日韓大会をともに戦った2人が、再び手を結ぶ可能性が浮上した。

 W杯の激闘をともに戦った2人に、かつての緊張感はなかった。中田氏はトルシエ氏と豊かな表情で談笑した。「暇だったら遊びに来いと言われた」。02年W杯日韓大会敗退が決まったトルコ戦以来、6年ぶりの対面を中田氏は振り返ったが、トルシエ氏の意図は“遊び”だけではなかった。

 「1週間でいいから沖縄に来て、うちのチームで練習してくれと頼んだ。選手に良い刺激を与えられる存在だし、沖縄に(世間の目を)引きつけてくれる存在だから」とトルシエ氏。総監督を務めるFC琉球に刺激を与える“臨時コーチ”として来てほしいという意味も込めた要請だった。

 中田氏のプレーはそれほどよかった。練習試合は「JAPAN STARS」が前半にFC琉球、後半は柏ユースと対戦する変則マッチ。雨の中、両足でのピンポイントのサイドチェンジ、速いスルーパスに加え、トリッキーなヒールパスと華麗なプレーを連発。7日の本番に向けて「普段やれないような魅せるプレーをしたい」とプロ意識をにじませた。

 だが、トルシエ氏が引きつけられたのは、プレー以上に精神的な部分だった。「(以前は)個人プレーを追う傾向があり、私に反発している部分があったけど、今は違う。世界中を旅していろんな人に会い、オープンになった。それがうれしい」と目を細める。かつての教え子が見せた新たな一面に、強い感銘を受けた様子だった。

中田英寿


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2008年06月03日

背水日本救った!俊輔右足ミドル弾

日本代表は2日、日産スタジアムで行われたW杯アジア3次予選2組でオマーンに3―0で快勝した。今予選初出場となったMF中村俊輔(29=セルティック)が前半22分に約45メートルのロングパスを通してFW大久保嘉人(25=神戸)のゴールを演出すると、後半4分には右足でダメ押し弾を決めた。これで3次予選は2勝1敗となり、最終予選進出に前進。この日77歳で死去した日本サッカー協会の元会長、長沼健最高顧問に白星をささげた。 【日本―オマーン戦詳細  W杯予選日程&結果】

 オマーンの息の根を止めたのは、得意の左足ではなく右足だった。2―0の後半4分だ。左サイドからの松井のパスを中央で受けて右足でトラップ。寄せてきたDFを左足のシュートフェイントでかわすと、最後は右足でゴール左隅に突き刺した。右足での得点は07年7月16日のベトナム戦以来2点目。代表通算21得点のうち18ゴールは左足で決めており、極めて珍しい一撃でもあった。ハーフタイムに岡田監督から「2点差を守り切ると思うな」とゲキが飛んでいただけに「自分が3点目を取れて良かった」と納得の表情を浮かべた。

 06年W杯ドイツ大会後に、中村は「30歳頃にピークが来る」と自己分析していた。セルティックに所属して欧州CLなどを経験することで、もともとの特長であるパスやFKだけでなく、守備やスライディング、右足やヘッドなどの技術が上がっていることを実感していたからだ。30歳の誕生日は今月24日。右足でのゴールは必然だった。

 昨年の大みそかに今年の目標を3つ掲げた。バルセロナとの対戦と、セルティックでのリーグ制覇はすでにクリア。残る1つは日本のW杯予選突破に貢献することだった。だからこそ、決して万全でない体にムチを打った。5月18日に左太腿裏を負傷し、帰国後の検査で左足付け根の炎症が判明。強行出場した5月27日のパラグアイ戦では、昨年末に苦しんだ左ひざ腱炎症の古傷が再発。それでも最後まで足を止めなかった。

 02年W杯日韓大会では直前でメンバーから落選。06年W杯ドイツ大会は1次リーグ全3試合に出場し初戦のオーストラリア戦ではゴールも決めたが、力を出し切れなかった。それだけに、もう一度あの舞台に立ちたい思いは誰よりも強い。

 だからこそ、3―0の快勝にも笑顔はあまりなかった。「きょうのようなファイト、ハードワークを続けないと。そのことが試合が終わってすぐに頭に浮かんだ」とすでに先を見据えている。さらに「きょうタマ(玉田)は、オレがトラップした瞬間に動き出していた。でも、オレが遅くて生かせなかった」と課題を口にすると、自らの得点シーンについても「強い相手だったら、そう簡単にはいかない。その辺を詰めていかないと、またW杯で痛い目に遭う」。これまで幾多の困難を乗り越えてきた中村だからこその言葉だった。

 前半22分には、ゴール前に走り込んだ闘莉王にどんぴしゃのロングパスを放り込み、大久保のゴールを演出。これでW杯予選は10試合で9勝目。「アウェーで戦い方が変わるので全員が意識しないといけない」。日本のファンタジスタが、窮地に立たされた日本代表を救い、さらに南アフリカヘとまた一歩前進させた。

中村俊輔


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2008年05月30日

高原が代表辞退!!

サッカー日本代表に選ばれていた高原直泰選手(浦和)が29日、代表を辞退した。所属する浦和が公式ページで発表した。高原は岡田監督の下で4試合に出場したが無得点と、不調だった。
高原選手は同ページで「今は、自分の所属チームであるレッズで、目の前の1試合1試合に集中して、全力で戦っていきたいと思います。」とコメントしている。

7 高原 直泰(たかはら・なおひろ)
生年月日、1979年6月4日
出身 静岡
サイズ 身長・1m81 体重 ・75kg
利き足 右
経歴(数字は入団年) 清水東−98磐田−01[R]ボカ・ジュニアーズ−02磐田−03ハンブルガーSV−06フランクフルト−08浦和
血液型 B
趣味
日本のエース

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2008年05月28日

我那覇の訴え認める!

サッカー元日本代表でJ1川崎のFW我那覇和樹(27)がJリーグから受けたドーピング禁止規定違反の処分取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所(CAS、本部スイス・ローザンヌ)は27日、我那覇の訴えを全面的に認める裁定を下した。


 「我那覇の行為はいかなる制裁にも値しない」と結論づけ、Jリーグに対し、我那覇が受けた6試合出場停止処分の取り消しと、我那覇側の弁護士費用などのうち2万ドル(約206万円)の支払いを求めた。今回の裁定は最終決定となる。


 我那覇は昨年4月の練習後に体調不良を訴え、チームドクター(当時)から生理食塩水とビタミンB1の点滴(静脈注射)を受けた。CASは、医師の判断で施した点滴を「正当な医療行為」と認め、「点滴は必要なく、12〜24時間何もしないで待つべきだった」とするJリーグ側の主張を退けた。


 Jリーグが判断基準の参考にしていた世界反ドーピング機関(WADA)の07年当時の規定では、静脈注射は禁止薬物の有無にかかわらず「正当な医療行為を除き禁止」と定めていた。先月30日から東京都内で行われた非公開の聴聞会では、「正当な医療行為」に該当するかどうかが争点となり、医学的な見地から両者の主張が対立していた。


 この問題で我那覇は既に6試合の出場停止を終え、川崎は1000万円の制裁金を科された。また当時のチームドクターは昨年11月に辞任した。


 我那覇、Jリーグは28日にそれぞれ会見する予定。


 ◇CAS裁定の要旨は次の通り(弁護団資料やCASホームページなどから)。


 ・6試合の出場停止処分を取り消す。


 ・Jリーグは申立人が負担した弁護士などの費用のうち2万ドルを支払う。


 ・我那覇は下痢、脱水症状で経口摂取が困難であり、他に有効な治療はなかった。


 ・我那覇にはいかなる制裁も科されるべき事案はなく、違反があったかどうか判断する必要すらない。


 ・Jリーグの規定では、すべての違反に制裁を科す義務はなかった。


 ・Jリーグの規定は、「正当な医療行為」かどうかを決める詳細な条件が明確ではなかった。


 ▽日本サッカー協会・川淵三郎会長 我那覇の名誉が回復されたことはよかったと思う。ただ、その行為が違法だったのか、どうか。何がどう悪かったのかには触れられていない。そのため焦点がずれて違和感のある回答となった。納得しづらい内容になってしまったと思う。


 ◇我那覇「いい方向に結果が出て良かった」


 我那覇は川崎市内でチーム練習に参加した後、「いい方向に結果が出て良かった。これまでやって来て良かった。長く苦しい道のりだったが、周りの人のサポートや支援でここまで来た」とほっとした様子を見せた。


 ただ裁定の詳細はまだ聞いていない様子で、「弁護士を通して中身を聞いた上で、何らかの形でコメントしたい」と慎重に言葉を選んだ。


 川崎の武田信平社長は「(制裁金1000万円は)返還されると思う。28日のJリーグの会見を待ち、話し合いをする」と話した。我那覇の6試合出場停止処分については「(既に処分を終えているので)取り戻すことは考えられない」と困惑しながらも、クラブとして何ができるかを検討する姿勢を示した。


 また、「歯を食いしばってよく乗り越えたし、彼を支えてくれた多くの皆様に感謝しなければならないと思う。問題に決着が着いたことで、よりいっそうプレーに集中できると思う」との談話を発表した。


 一方、Jリーグは「コメントできない」と話した。【江連能弘】


 ◇スポーツ仲裁裁判所(CAS)


 1984年、スポーツ問題の解決を目的に国際オリンピック委員会(IOC)が中心となりスイスに設立。今月16日に出した裁定では、義足の南アフリカの選手に、健常者のレースへの出場を認めた。スポーツの専門家や法律家が仲裁人に指名され、今回は小寺彰東大大学院教授、00年シドニー五輪の競泳代表に漏れて訴えた千葉すず選手の時も仲裁人となったハンス・ナター(スイス)、マルコム・ホームズ(豪州)の3人が務めた。


我那覇 和樹(がなは・かずき)
所属 川崎フロンターレ
ポジション FW
生年月日、1980年9月26日 
出身 沖縄
サイズ 身長1m82、体重 76kg
利き足 右
経歴(数字は入団年) 宜野湾−99川崎F
血液型 O
趣味 ドライブ


DVD 川崎フロンターレ 2007 シーズンレビュー
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2008年05月27日

日本が大会連覇!!

サッカー日本代表キリンカップ連覇

日本代表 0 - 0 パラグアイ代表

キリンカップ最終日パラグアイ戦の後半、フリーキックをける中村俊(右)。日本はパラグアイと0−0で引き分け、1勝1分けの勝ち点4で2年連続9度目の優勝を果たした(27日、埼玉スタジアム)


●中村俊輔選手(セルティック):
「ボールは回っていたけど、3人目の動きが足りなかった。前半はある程度形を作れてはいたけど、後半は前でつかれることが多かった。2歩、3歩で取られるよりはまわしたほうが良かった。個人の判断だったと思う。フォーメーションについては特に監督からは何も言われていないけど、左でボールを持った時に止まらないで欲しい、というくらいかな。ワントップだから、タテパスが入らないと。選手の特徴を見ながら。松井とかは何回も呼ばれているわけじゃないし。横パスが入った時にドリブルという松井や山瀬の良さが生きてくるんだろうけど、無理するところじゃない五分五分のところで無理をしてしまっていた。自分でやるんなら、周りに合わせたほうが良かったのではないかな。体を当てて、ボールを落としてサイドチェンジのほうが良かったんじゃないかな。形にこだわりすぎるのはよくない。勝つためのプレーをやるべきだと思う」

●ヘラルド・マルティノ監督(パラグアイ代表):

「今日の展開は前回のコートジボワール戦と同じだったと思う。前半25分については全然手も足も出なくて、それ以降に均衡した試合になったと思う。しかしその段階においても、なかなか自分たちのプレーをさせてもらえなかった。後半にはいるとチャンスも作れたが、点に結びつかなかった。全般を振り返ると引き分けで当然の試合だったと思う」

Q:前回のコートジボワール戦と同じになったということだが、それはパラグアイ側が意図したのか、流れでそうなってしまったのか?
「自分たちが意図したというよりも、状況によって同じような展開になったといえる。自分たちはリカバーをうまくできなかったし、日本は正確なのプレーをしていたし、スピードが速かった。そういう意味で、前半25分間は自分たちの力をだせなかった。

反対に、日本がその25分を十分に活かしていたらゴールを決められていたと思う。25分が過ぎた後で自分たちのプレーはさせてもらえなかったものの、ある程度力が均衡した試合になった。自分たちとしてはDFの部分で有利に働いたと思うし、セットプレーでもいい場面があった。後半、日本はスピードを失い、前半に比べて正確性を失っていたと思う。我々はかなり相手のエリアでプレーできていたと思う」

Q:前半まったく手が出なかったといっていたが、前後半での日本の印象は違ったか?
「日本は前半後半まったく違うチームのようだった。それがパラグアイのプレーによる影響なのかはよくわからない。もしかしたら、日本自身がレベルを下げてしまったのかもという印象も持っている。いずれにしても前半はスピードにあふれていたし、正確なプレー、オフェンシブなプレーができていたように思う」

中村俊輔(なかむらしゅんすけ)
所属 セルティック(スコットランドリーグ)
ポジション MF
生年月日 1978年6月24日
出身 神奈川県横浜市
サイズ 身長1メートル78、体重69キロ
経歴 桐光学園高−横浜マリノス(現横浜F・マリノス)−レジーナ(イタリア)−セルティック(スコットランド)
A代表歴 2000年2月13日 シンガポール戦でA代表デビュー
日本代表72試合出場/18得点(2007年9月7日現在)
出場した主な世界大会 1997年ワールドユースマレーシア大会 ベスト8
2000年シドニー五輪 ベスト8
2000年レバノンアジアカップ 優勝
2004年中国アジアカップ 優勝
2006年ドイツW杯 グループリーグ敗退
2007年アジアカップ 4位
個人タイトル 1999年Jリーグ ベストイレブン
2000年Jリーグ 年間最優秀選手賞
2000年Jリーグ ベストイレブン
2000年レバノンアジアカップ ベストイレブン
2004年中国アジアカップ 最優秀選手賞
2004年中国アジアカップ ベストイレブン
2005年ドイツコンフェデレーションズカップ ベストイレブン
2007年スコットランフォプレミアリーグ 選手協会選出MVP、リーグ選出MVP、 記者協会選出MVP、ベストイレブン、最優秀ゴール


中村俊輔DVDバイオグラフィー 2002-2005
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2008年05月25日

サッカー日本代表ニュース

<国際親善試合キリン杯:日本1−0コートジボワール>◇24日◇豊田
 FW玉田圭司(28)が値千金の一撃で、岡田ジャパンに待望の白星をもたらした。前半21分にMF長谷部誠(24)のクロスを左足ボレーでゴールにたたき込んだ。06年6月22日ドイツW杯1次リーグのブラジル戦以来、実に1年11カ月、702日ぶりの代表でのゴールを決めた。その後も積極的なドリブル突破で好機を演出。所属の名古屋の本拠地豊田スタジアムで堂々の主役になり、代表定着をアピールした。
 何かに押されるように、玉田は全速力で走った。足元に長谷部からのクロスが届く。スライディングしながら左足ボレーで反応。ヒットしたのはすね付近と完ぺきではなかったが「ゴールならどんなのでもいい」。執念で相手GKのまたを抜いた。
 代表では約2年ぶりに味わう感触。長い空白を埋めるように、左手の人さし指を振って余韻に浸った。エース高原を押しのけての先発。痛い星を落としたバーレーン戦のモヤモヤを一掃するため、思い切った手を打った岡田監督の起用にも一発回答した。
 06年W杯でブラジルから歴史的ゴールを奪ったが、その後、左足はくすぶっていた。ジーコ監督に高く評価された才能の持ち主だが、オシム体制では1度も声が掛からなかった。代表と無縁だった昨季は右足甲の骨折でシーズン中盤で4カ月も離脱。07年は結局リーグ14試合出場5得点。代表からも遠ざかり「『元代表』と言われるのがイヤ」。腐りかけていた。
 今季就任した名古屋ストイコビッチ監督との出会いで生まれ変わった。1月末、チーム始動間もないころ部屋に呼ばれ「君は日本のベストプレーヤーだ。ゲームを楽しめ。自由に、思い切ってやってみろ。オレが後ろについているから」と背中を押された。屈指のテクニシャンで天才肌。共通点の多い「師弟」は固いきずなで結ばれた。
 観戦したピクシーの目の前で、沈黙した2年間を自身のゴールで打ち破った。「いま思えば、そう長くはなかった。今につながっていると思えるから」。正念場の6月のW杯3次予選をも明るく照らす一撃。「この前の(ドイツW杯)予選を経験している選手はそうはいないので」。技術とスピードを生かし、再び日本をW杯へとけん引するため、頼もしい言葉とともに走りだした。【八反誠】 nikkansports.com
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2008年05月22日

マンUが9季ぶり3度目の制覇

サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)は21日、当地のルジニキ競技場で決勝が行われ、マンチェスター・ユナイテッドがチェルシー(ともにイングランド)を1−1からのPK戦の末破り、9季ぶり3度目の優勝を果たした。イングランド勢の制覇は3季ぶり。チェルシーの初優勝はならなかった。
 イングランド・プレミアリーグ覇者のマンチェスターUは序盤にリズムをつかみ、前半26分に大会得点王のロナルドのゴールで先制。前半終了間際に追い付かれ、後半はチェルシーに押し込まれたが、これをしのいだ。その後は延長戦でも決着が付かず、先げりのPK戦を6−5で制した。
 マンチェスターUは欧州代表として12月に日本で開催されるクラブ・ワールドカップ(W杯)に出場する。CLの次回決勝はローマで行われる。


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2008年05月01日

我那覇 和樹

我那覇 和樹(がなは・かずき)
所属 川崎フロンターレ
ポジション FW
生年月日、1980年9月26日 
出身 沖縄
サイズ 身長1m82、体重 76kg
利き足 右
経歴(数字は入団年) 宜野湾−99川崎F
血液型 O
趣味 ドライブ


川崎フロンターレ ホーム ユニフォーム
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中村俊輔

中村俊輔(なかむらしゅんすけ)
所属 セルティック(スコットランドリーグ)
ポジション MF
生年月日 1978年6月24日
出身 神奈川県横浜市
サイズ 身長1メートル78、体重69キロ
経歴 桐光学園高−横浜マリノス(現横浜F・マリノス)−レジーナ(イタリア)−セルティック(スコットランド)
A代表歴 2000年2月13日 シンガポール戦でA代表デビュー
日本代表72試合出場/18得点(2007年9月7日現在)
出場した主な世界大会 1997年ワールドユースマレーシア大会 ベスト8
2000年シドニー五輪 ベスト8
2000年レバノンアジアカップ 優勝
2004年中国アジアカップ 優勝
2006年ドイツW杯 グループリーグ敗退
2007年アジアカップ 4位
個人タイトル 1999年Jリーグ ベストイレブン
2000年Jリーグ 年間最優秀選手賞
2000年Jリーグ ベストイレブン
2000年レバノンアジアカップ ベストイレブン
2004年中国アジアカップ 最優秀選手賞
2004年中国アジアカップ ベストイレブン
2005年ドイツコンフェデレーションズカップ ベストイレブン
2007年スコットランフォプレミアリーグ 選手協会選出MVP、リーグ選出MVP、 記者協会選出MVP、ベストイレブン、最優秀ゴール
成績
年 所属 チームタイトル 試合 得点
1997年 横浜(Jリーグ) 27 5
1998年 横浜(Jリーグ) 33 9
1999年 横浜(Jリーグ) 26 7
2000年 横浜(Jリーグ) J第1S優勝 30 5
2001年 横浜(Jリーグ) 24 3
2002年 横浜(Jリーグ)   8 4
2002-2003年 レジーナ(イタリア・セリエA) 32 7
2003-2004年 レジーナ(イタリア・セリエA) 16 2
2004-2005年 レジーナ(イタリア・セリエA) 33 2
2005-2006年 セルティック(スコットランドリーグ) スコットランドリーグ優勝 33 6
2006-2007年 セルティック(スコットランドリーグ) スコットランドリーグ優勝 37 9


中村俊輔DVDバイオグラフィー 2002-2005
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高原直泰

7 高原 直泰(たかはら・なおひろ)
生年月日、1979年6月4日
出身 静岡
サイズ 身長・1m81 体重 ・75kg
利き足 右
経歴(数字は入団年) 清水東−98磐田−01[R]ボカ・ジュニアーズ−02磐田−03ハンブルガーSV−06フランクフルト−08浦和
血液型 B
趣味
日本のエース

タイトル
最優秀選手 02”
得点王 02”
ベストイレブン 02”

代表歴(数字は出場年)
各世代代表 U16・17、U18〜20、U21〜23
日本A代表 00〜(56試23点)
U−17W杯代表 95”
U−20W杯代表 99”
五輪本大会出場 00”
W杯代表 06”


日本代表 コンフィットシャツ NO.19 高原
タグ:高原
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